子どもを連れて離れ、住所を伏せて生きることにした日から

子どもを連れて家を離れ、
住所を伏せて暮らすという選択をした日、
私には「これが正解だ」という確信はありませんでした。

ただ、
このまま同じ場所に居続ける未来を思い描けなくなっていたことだけは、
はっきりと覚えています。

逃げるべきなのか。
大げさなのではないか。
子どもから何かを奪ってしまうのではないか。

そんな迷いを抱えたまま、
それでも「離れる」という選択をしました。

「住所を伏せる」という選択について

住所を伏せて暮らす、という判断は、
特別な覚悟があったからできた、というよりも、
当時の私にとっては
それ以外に安心して眠れる選択肢が見えなかった
というのが正直なところです。

自分や子どもの居場所が知られていない、
という状態そのものが、
心と体を休ませるために必要だと感じていました。

この選択が正しかったのかどうかは、
今でも一言では言えません。

生活は、想像以上に変わった

住所を伏せて暮らすようになってから、
生活のあらゆる場面で
「普通にできていたこと」が、急に難しくなりました。

書類を書くとき。
誰かと距離を縮めるとき。
子どもに関わる手続きをするとき。

その一方で、
守られていると実感できた場面があったのも事実です。

不便さと安心感は、
同時に存在
していました。

こうした具体的な出来事については、
別の記事で詳しく書いています。

数年たった今も、続いている選択

この生活は、
「一時的な避難」で終わるものではありませんでした。

離婚調停、面会交流調停、裁判を経て離婚が成立するまで、
そしてその後も、
私は約6年にわたって住所を伏せた生活を続けてきました。

そして現在も、
安全のための支援措置を受けながら暮らしています

つまりこれは、
「過去の大変だった話」ではありません。

今も続いている、
生活の一部です。

正解はひとつではなかった

住所を伏せて暮らすことは、
誰にとっても必要な選択ではありません。

また、
ずっと続けなければならないものでもないと思います。

私自身も、
「いつまで続けるか」
「どこまで守るか」
その都度、状況を見ながら判断してきました。

今振り返って思うのは、
無理をしすぎないことと、
一人で抱え込まないことの大切さです。

おわりに

子どもを連れて離れ、
住所を伏せて生きることにしたあの日、
私は「強い人」だったわけではありません。

ただ、生きていくために、
選択せざるを得なかった一人の親
でした。

もし今、
同じように迷っている方がいたら、
「こういう選択をした人もいる」という一例として、
この記録が何かの参考になればと思います。

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