体に残っていた心の記憶――面会交流調停と、子どもの夜

泣かなかった子ども

避難前から、子どもは泣くことがほとんどありませんでした。

でも、体には出ていました。

傷は見えなくても、
体の奥に薄く残る痣のようでした。


避難前から、体に出ていたサイン

昼夜を問わず、緊張が高まると体に出る“癖のような動き”がありました。
本人の意思とは関係なく、繰り返し現れるものです。

眠ったあとも安心しきれないのか、夜中に歩き回ることもありました。

避難して、少しずつ落ち着いていたその反応が、
面会交流調停が決まったとき、はっきりと強くなりました。

体は、忘れていなかったのだと思います。


避難後、取り戻しはじめた日常

家では笑顔を見せていました。

けれど、転校した子どもは新しい学校になかなか馴染めませんでした。
環境が大きく変わったこともあったと思います。
そして私と同じように、自分の意見を言うことに躊躇しているようでした。

「行きたくない」と言う日もありました。

そのたびに私は、
学校だけがすべてではないこと、
無理をしてまで行かなくていいことを伝えました。

家では学校での出来事をたくさん話しました。
自分が悪くないのなら、自信を持っていいことも、何度も伝えました。

子どもは、自分の意志で休まず学校へ通いました。

やがて、乱暴な態度をとる子に対しても、自分の意見を言えるようになり、ときには言い合いになることもありました。

学校から連絡が入るたびに胸はざわつきました。
それでも、自分の思いを言葉にできたことに、私は確かな成長を感じていました。

あまり遠出はできませんでしたが、休日はふたりでいろんなところに出かけました。

避難直後まで出ていた体の反応も、徐々に落ち着き、笑顔が増えていきました。

少しずつ、安心を取り戻している。
そう思っていました。


体は忘れていなかった

離婚調停の調査官調査の実施が決まったころから、夜の様子が変わりました。

子どもを寝かしつけ、仕事や家事をしていると、
いつのまにか家の中を歩いていることがありました。

話しかけても反応がない。
危険がないよう作業を止め、そばに付き添いました。

また、突然泣き出し、
「ママ、怖いよ」と怯えることもありました。

思い出さなければいけないこと。
向き合わなければいけないこと。

小さな体で、どれだけ抱えていたのだろう。

抱きしめながら、何度も言いました。

「何があってもずっと一緒だよ」
「ママがいるから大丈夫だよ」

泣き止むまで。
眠りに落ちるまで。

昼間は笑っているのに、
夜になると体が悲鳴をあげる。

避難して落ち着いていたはずの反応が、
調査官調査が決まった途端、はっきりと強くなりました。

書類の上では「面会交流」と書かれていました。
けれどその言葉の裏で、小さな体が震えていることを、
どれだけの人が想像しているのだろう。

“子どものため”という言葉が、
あの夜だけは、遠く感じました。


「要らない子なんだ」と言った日

以前、父親と同居していたころ。

機嫌が悪くなると、無視されたり、突然家を追い出されたことがありました。
けれど本当の理由を周囲に言うことはできませんでした。

あのとき子どもは言いました。

「パパは、(自分)のこと、要らないんだよね」

胸が裂けそうでした。

安心させるために、私は別の理由を話しました。
本当のことは言えなかった。

けれど子どもは、きっと全部わかっていたのだと思います。

体に出ていた反応は、
あのころから続く、心の記憶だったのかもしれません。


それでも、二人三脚で

夜中にうずくまる小さな体を抱きしめながら、
私は何度も同じ言葉を繰り返しました。

「何があってもずっと一緒だよ」
「ママがいるから大丈夫だよ」

あの夜を、何度も越えました。

体に出てしまうほどの恐怖を抱えながら、
それでも前を向こうとしていた小さな背中。

そして今。

その背中は少し大きくなりました。

あのころ体に出ていた反応は、もう見られません。

仕事の終わりが遅くなる私のために、少しずつ料理を覚えてくれました。
休日には、買い出しで重い荷物を持ってくれます。

守る・守られる、ではなく、
支え合う関係になりました。

あの夜に交わした約束は、
ちゃんと今も続いています。

これからも、何があっても。
二人三脚で。


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