生活費ゼロから始まった現実と、仕事を選び直すまで
同居中、私はずっと悩んでいました。
けれどその悩みは、相手に主導権がある状況の中での、どうすることもできないものでした。
いくら考えても状況は変わらず、解決の糸口も見えない。
だから避難を決めたとき、こう思いました。
「どうせ悩むのなら、自分の力で変えられることで悩みたい。」
自分で選び、自分で動き、その結果に責任を持つ。
そうやって、少しずつでも人生を取り戻していきたいと思いました。
しかし、現実は甘くありませんでした。
安全と引き換えに始まったのは、
経済的不安との闘いでした。
手当も養育費もなかった
正式に離婚は成立しておらず、調停中。
そのため、児童扶養手当はありませんでした。
養育費も、婚姻費用も、元夫が拒否していたためゼロ。
手続きと生活準備で、手持ちの資金は減る一方。
それが、生活のスタートでした。
最初に選んだ仕事
子どももまだ不安定な時期でした。
突然泣き出すこともあり、
体調を崩すこともありました。
だから私は、
「休みを取りやすいこと」
を最優先にして、コールセンターの時給勤務を選びました。
収入は多くありませんでした。
生活は常にギリギリ。
焦りを感じながら、生活と同時に離婚調停も進んでいきました。
あの頃は、
仕事を変える時間的な余裕も、精神的な余裕もありませんでした。
在宅営業という選択と、その現実
コールセンターの経験を活かし、
在宅でできるインサイドセールスに転職しました。
在宅なら、子どものそばにいられる。
そう思っていました。
けれど実際は、
サービス残業、夜中までの後処理。
「ひとりで留守番をさせる」という状況は改善したものの、
家にいるのに、子どもと過ごす時間はほとんどない。
「一緒にいること」と「向き合えていること」は
まったく違いました。
赤字とクレジットカード
急な出費が重なる月もありました。
赤字の月もありました。
避難前に作っていたクレジットカードで
一時的に立て替えてしのいだこともあります。
本業とは別に、単発の仕事を受けたこともありました。
とにかく、必死でした。
大病が教えてくれたこと
生活を立て直すことに必死だった頃。
これは、1年目の話ではないのですが、
大きな病気が見つかりました。
手術を経験し、
初めて立ち止まりました。
私は、何のために避難したのか。
命がけで選んだこの生活は、
「何のため」だったのか。
仕事を、もう一度選び直した
子どもが安心できる環境で、健やかに過ごしてほしい。
笑顔を増やしたい。
その原点に立ち返りました。
在宅という働き方はそのままに、
営業ではない職種へ転職。
結果的に、
時間も改善し、
収入も安定し、
今もその仕事を続けています。
最初の1年は、整える時間だった
豊かではありませんでした。
余裕もありませんでした。
でも、あの1年があったから
今があります。
生活再建は、一気には整いません。
まずは安全を確保し、
次に土台を作り、
少しずつ選び直していく。
それでいいのだと思います。
避難直後に実際に動いた手続きについては、こちらにまとめています。
→【逃げた直後の1週間でやったこと】
避難した当日の記録については、こちらに書いています。
→【避難当日の記憶】
