DVだという自覚は、当時はありませんでした。
ただ、振り返ると私は、
少しずつ「外の世界」から切り離されていっていたように思います。
それは突然ではなく、
気づいたときには、選択肢がほとんど残っていない、
そんな形でした。
仕事をしたいと言えなくなっていった
結婚後、生活費を止められることがありました。
機嫌を損ねると無視をされ、
罰のように生活費が渡されない。
数日で終わることもあれば、
長いときには数か月続くこともありました。
そのたびに、
節約をしたり、自分の貯蓄を切り崩したりして、
なんとかやりくりしていました。
「少しでも働けたら」と思い、
パートの相談をしたことがあります。
でも返ってきたのは、
「子どものことはどうする」
「母親失格だ」
「そんな端金のために、家事の質を落とすな」
という言葉でした。
少しの協力をお願いしただけでも、
「責任が違う」「俺に負担をかけるな」と一蹴されました。
そのうち、
相談すること自体を諦めるようになっていきました。
働いていても、自由ではなかった時期
一時期、パートをしていたこともあります。
けれどその頃は、
生活費の折半を強要され、
家のローンや光熱費だけでなく、
夫の車のローンや保険、
子どもと自分の生活費、習い事の費用まで、
私のパート代で賄う状況になっていました。
働いているのに、生活は楽にならない。
むしろ、家庭内の負担や格差は大きくなっていきました。
この経験は、
「仕事をすれば状況が良くなる」という単純な話ではないことを、
後になって実感するきっかけにもなりました。
※この部分は、別の記事で詳しく書いています。
▶︎ 働いても自由になれなかった|家庭内で広がっていった経済格差
人に会うことも、少しずつ減っていった
友人に会うことや、実家に行くことも、快く思われませんでした。
「何のために会う必要があるのか」
「自分の家族の方が大事なら、そんなことに時間を使うな」
そんな言葉を向けられました。
禁止されたわけではありません。
でも、会うたびに理由を説明し、
責められることが分かっていると、
自然と足が遠のいていきました。
気づけば、
自分から人との距離を取るようになっていました。
選んでいないのに、選択肢が消えていった
仕事も、人付き合いも、
「ダメ」と言われたわけではありません。
ただ、
言い出すと面倒なことになる。
言うだけで責められる。
空気が悪くなる。
それが分かっているから、
最初から言わなくなる。
そうして、
選んでいないのに、選択肢だけが消えていきました。
今、振り返って思うこと
仕事ができないこと、
人と会えなくなることは、
経済的にも、精神的にも、
逃げにくさを強めていました。
孤立は、私の性格の問題ではありませんでした。
結果として、そうならざるを得ない環境だったのだと思います。
おわりに
もし今、
- 働きたいのに働けない
- 人に会うことが、どんどん難しくなっている
そんな状態にいる方がいたら。
それは怠けでも、甘えでもなく、
置かれている環境の問題かもしれません。
外の世界から切り離されていく感覚は、
とても分かりにくく、でも確かに存在します。
これは、その一例です。
「でも私は働いているし、経済的には自立している」と思っていた頃のことも書いています。
働いても自由になれなかった理由について、続けて読んでみてください。
▶ 働いても自由になれなかった|家庭内で広がっていった経済格差
